ことぶき猫玉日記

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zoom RSS 『東京喰種』にハマった自分に対する考察:2016年10月21日

<<   作成日時 : 2016/10/21 18:03   >>

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ずっと不思議だ。
自分たちと全く違う姿形の喰種を「人間を食うから」と言うだけで
一方的に「害」と決めつけ、排除と言う手段しか取らない事。
設定としての世界観と言うには、実はツッコミどころが多いのだ。
理屈としては完全に「差別を容認している」と思えるからだ。
差別に抗うのは非常に困難である、違うモノを排除したいのが
人間の本質である、と言う事がテーマである、と大々的に
打ち出している作品でもない。
が、害獣となり、人里に下りたが為に「脅威」とみなされ、
結果として人間に荒らされた自分たちのテリトリーに
「食べるものがなくなった」為に人間を襲う野生生物に対し、
「駆除」する様に。
一方、絶滅を危惧して保護しようともする。
元はと言えば人間が野生動物のテリトリーにまで住居を構え
境界線を侵したのだが、その動物たちに対して「下りて来ない」様に
柵を設けたり、なんとか接触を避けようともする。

防衛策が甘いが為に接触が起こり、結果、人を襲ったから、
と言うだけで「生きる為に」した行為で殺される動物たち。

テレビのコメンテイター程度の喰種研究家である小倉の他に
喰種を「生物」として捉え、専門的に研究している学者の存在が
作中に存在しないのが不思議なのだ。
CCG視点から考えると「駆除する為」の研究は怠らないが
純粋に生物に対する興味から、熱心に研究する人間はいないのだろうか。
喰種に対し、尋常じゃない「探求心」を抱く人間は…
そのような人物・研究機関の存在は影も形もなく、これは逆に
「亜人」を描く作品としては非常に珍しいのではないだろうか。

ひょっとして、嘉納が第一人者なのか?
嘉納には、喰種に対する生命としての特殊さからくる純粋な
興味は感じられないし、ユニークな生き物として捉えている
節も見当たらない。
クロナが言い放った様に、単に人間と喰種を足してキメラを作り
自分の才能に酔いたいだけの実験オタクとしか思えない。

人間に害を成す可能性があればあるほど、興味をそそられるのが
人間の本能じゃないかな、と思うのだ。
絶滅に瀕している(追いやった張本人が自分たちとしても)
動物には「絶滅危惧種」などと言う認定をして保護に努める。
危惧を招いた贖罪の様に。

人間と同じ姿形で在り、その同じ姿のモノが自分たちを明確に
食料にしている為に恐怖心が倍増されるのだろうが、もし本当に
「喰種」が存在しているとしたら、自分はどう考えるだろうか。
同じ姿形のモノが捜査官の手で「駆逐」される様を目の当たりに
した時、なんて残酷なんだ、もっとやりようがあるんじゃないか?
と思うかもしれない。
同じ姿のモノに感情移入が出来ない方が不思議なのだ。

いつ自分が食料となるかもしれない恐怖と闘わないで済む環境を
作るのが政府なりCCGの役目ではないか?と考えるかもしれない。
むしろ、人を襲わない様に「遺体配給制度」を設ければいいのでは?
喰種を増やさない様に「去勢」し絶対数の管理を行えないのか?
と考えるかもしれない。

『隻眼の王』は何故必要なのだろうか。
CCGにどんな闇があり、和修家の血統がどう言う物なのか未だ
明かされていないが、研究するものは居る筈だし、捕食ではなく
生命の無くなった人間の肉体を配給に回すなど(四方が自殺者の
遺体を回収していたように)共存する道はあるのでは?
喰種をこうも頑なに排除しようとする歴史が人間の中に生まれたのは
何故なのだろうか。
それは何かしらの力が働き、人間側がマインドコントロールされた
結果なのかもしれない、とさえ思えてくる。



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