ことぶき猫玉日記

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zoom RSS 『黄金を抱いて翔べ』余談の余談A。

<<   作成日時 : 2014/01/21 15:19   >>

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幸田と言う人間が、精神と肉体が離反していると
感じたのも、この書き方があるからだ。
心情風景もぼんやりと確定的でないのは、
幸田にとって肉体が受ける衝撃が精神に届くのに
ブランクがあり、また、そのまま受け取る事が
難しいからだ、と言う風に感じたからだった。
自分の中でこう言う解釈で読んでいるので、
いかがわしい事は解るのだが、明確に書いてないと
言う事は「なかった」事として読んでしまうんだよなぁ。
教えて貰った、北川のモモに対する暴行の場面も、
モモの口を割らせようと殴る蹴るしているだけ、と
思ってたからなぁ。
むしろ北川は、計画に必要と言うお題目がありながら、
殴る蹴る行為を行う自分に興奮する変態、と言う風に
捉えていたからなあ。
変態と言うより性癖か。
それを幸田に気付かれても平気、と言う図太さが
この男にはあるんだ、と言う怖さと言うか。
「勃起」と明記されていたが、私は暴力により
興奮を得る描写だと思っており、そう言う北川の
性的な傾向が非常に理解できる、と思ったからだ。

SかMかで人の特徴を判断し、占いの様に話題にする
ネタにしていると思うが、精神と肉体の部分などと
掘り下げたら際限がないので割愛するが、私が
人とそう言う話になった時に
「ほっぺたひっぱたいて」って相手に要求されて
容赦なく叩けるか、叩かないか、叩けないか、
と言う事を聴いたりする。
まあ、聴く相手と自分との関係にもよるので、
やたらめったら聴いたりはしないんだが、私は
容赦なく叩く。
相手が要求していると言う事と、人のほっぺたを
容赦なく叩く、と言う事をした事がない人間ではないので、
私にとっては格別に勇気のいる行動ではないからだ。
(誤解を生むといけないのできちんと言っておくが、
 私が相手のほっぺたを容赦なくひっぱたいていたのは
 幼少期で、長女の言うことがきけないのか、と
 二人の弟をひっぱたいて泣かせていたお姉ちゃん
 だったからだ。一度も人を叩いた事がない、と言う
 人間ではないので、叩けと言われたら叩ける、
 と言う意味合いである)
言った相手が「冗談だったのに!!」とキレたとしても、
叩かれたくないんだったら冗談でもそう言う事は
言ってはいけない、と冷静に言って、あなたの冗談が
通じなかったり面倒だから叩いとけ、と言う判断を
下す人間だって世のなかにいるんだから、それを
知っておけ、と諭すかもしれない。

これまで何人かにこう言う聞き方をしてみたが、
叩く、と言った人はいなかった。
叩いてくれ、と言われてもそれは暴力になるのだから
叩くわけがない、とか、自分は気が弱いので人を
叩く事ができない、とか、それだったら自分が
叩かれた方がいい、とか、そう言う答えが返ってきた。
相手の要求を受け入れる責任を取るよりも、自分の
モラルの方が大事な人が多いな、と言う印象だった。
もし愛する人が叩いてくれた方が嬉しい、と言っても
自分のモラルを守って叩かないのか、愛する人の為に
自分を曲げる選択はしないと言いながら、仕事は主観を
感じないくらい雑にやってるが、そこは一致しないのか、
とか色々考えさせられる返答だった。
まあ、単にへ理屈と言われてしまえばそれまでだが。
(ここまで掘り下げて話すほど、相手に対して私の
 関心がない、話のついでのネタなので)
私が「叩く」選択をするように、間違いなく北川も
容赦なく殴るだろうな、もし相手に意図があったとしたら
殴った後に聞くんだろうな、と思った
のだ。
そう言う意味合いで、性衝動といっしょくたになるより、
意識を持って暴力をふるえる男、と言う部分で、
あの場面を読んでいた。

モモが口を割らない事など、解っていてやっている
北川の股間が膨らんでいたのは、自分の行う暴力に
自分自身も興奮する性質なんだ、とマジで思っていたが、
どうやらこの部分は文字通り北川が口を割らせるのに
「暴行」していたと聞いて、心の底からびっくりした。
この場面がそう読み取れるのであれば、恐らく他の
場面もそうであり、そうなると私は明後日の方向に
読み取りながら読んでいた可能性がある。
モモと幸田の「寝物語」も、狭い部屋でくっつきながら
寝たのかもしれないし、ピロートークとしてのこの
言葉かもしれないし、と、モモと幸田に性的な関係が
あろうとなかろうと先を読む、と言う判断で読んでいた。
ぶっちゃけてしまうと、この時点でモモと幸田が
肉体関係を結んでいようといまいと、私には
どうでもいい事なのだ。
体をくっつけて寝るほどに、相手に対しての警戒心が
失なっている、と言う事が読み取れればそれでいいのだ。
だからこそ、目覚めた時に固くなったモモの体を
自分の掌に感じながら、感情を本流させる事が
この時点でも出来ない幸田と言う人間の無自覚さが
際立ち、モモの死の悲しみが読者に流れ込むからだ。

改めて考えていると、この作品は同性愛的な要素が
かなりある作品なんだろうが、私にとっては固く
融通の利かない、この世界にたった一人で生きている、
そう言う幸田と言う男が、たった一人ではないと
解らせて貰う為の、肉体的にも精神的にも心底からの
孤独と言うものから解放された物語、として読んでいたな、
と言う事だった。
男性同士の同性愛風味がない作品は読まないと
豪語している私なんだが、そちらの深読みをするより
この幸田と言う男がどうなるんだろうか、と言う方に
引っ張られて読んでいたと言う事だろう。
陳腐に言ってしまうと、孤独な魂が救われる、と言う
私の好物の物語である方に比重が傾いていた。

同性愛と言う要素があるものを読むのは、彼らが
マイノリティであり孤独を強いられている可能性が高いので、
自分が共感をし易い、と言う部分もある。
天涯孤独で誰にも顧みられず、と言う絶対的な
孤独な環境ではなく、人から見れば大した不幸な
境遇でもないのに、傍に誰かがいても孤独なのだ、
人間が傍に居ても自分にとってはどこまでも他者なのだ、
と感じる人間がいる、と言う孤独さは心に秘密があり、
それを他者と分け合えないところから来る孤独だ。
まず、この孤独さに誰かが気付くか、そこからして
難題な訳だ。
見た目には解らない、全て心の中でその人間が
感じているものだからだ。

幸田の心から染み出している「独りである」と言うものを
感じ取った人間が何人かいて、幸田は彼らに少しは
引っ張って貰ったかもしれないが、最後には自分で
彼らを自分の身に感じる事で内側を解放する事を
やったのだと思う。
独りである自分を自覚した人は、自覚した時点で
それを許容する場合も多い。
自らそこに在る人を「独りじゃない生き方もある」と
諭すのは至難の業だ。
それが解放される物語が感動しない訳がない。
匂い立つ男同志のいかがわしい関係よりも
こちらの方に気が行ってしまった。
北川やモモや春樹が、幸田に関わったのは間違いなく
同性愛的なものが含まれているだろうが、それを
そう言う性的な感情である、と決めてしまわなくても
決めてしまわなくても、異性と関係を結ぶのとは
違った、男性同士の濃い関係性として読んでしまっても
物語の大筋はぶれないだろうと思った。

ぐだぐだと書いたが、この読解力の差は「やおい力」
有無にも大いに関係している気がする。
私は昔からやおい力がない。
やおい力の高い人は村薫がたまらないんじゃないか、
と思うが、やおい力の低い人間が読むと「回りくどい」
と感じてしまうのかもしれない。
もしくは、根本的に作者が「同性愛」として
書いているのではなくて、男同志の特異な関係性を
書こうとすると、同性愛的なニュアンスに見える、
と言うだけなのかもしれないな、と思った。
だからぼやかして書かれている様に思うのかも…

今、大原まり子『銀河郵便は‛愛’を運ぶ』をまた
読んでいるのだが、作風はまるで違うのに、
大原まり子の作品が「軽い」とは感じない。
文字数は圧倒的に少ないが、物語を表現する上で
必要最低限の文字数で事足りている。
一人称で書かれているという事もあるが、
形を取らない感情をぼやかして書かれていても
難解だと言う印象はない。
これはやはり、作風の違いと言うものに負う所が
大きいのではないだろうか。
映画のDVDが届いてどうなるか解らんが、私個人の
話をすると、ここで読まないと止めてしまったら、
恐らくもう、村作品は読まないだろうな、と言う事。
合わないものを無理くり読んでも、それはストレスを
感じるだけだろうなぁ、と言う事。
『マークスの山』は文庫版を読んでないので、これは
読んでおきたいのだが、村薫はこうやって読むのか、
と考えながら読む忍耐力が継続するかは未知数。

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