ことぶき猫玉日記

アクセスカウンタ

zoom RSS 約20年ぶりの再読『黄金を抱いて翔べ』A

<<   作成日時 : 2014/01/13 23:15   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

作品と作家さんを分離して考える方なので、
作品が面白い=作家さん自身に興味が湧く、
事はほとんどと言っていいほどにない。
カバー裏に書かれているくらいの事は読むが、
それ以上知らなくても平気だ。
作品=作者として書かれているものもあれば、
作品と作者が全く結びつかずに書かれているものも
あるし、作品を生み出した作者に敬意は払うが、
良い作品を生み出している人が自分の好きな人間か、
と言うと、それもイコールではないだろう。
下手に作家の知識を入れて、作品を客観的に
見れなくなるより、私は作者を知らないままに
しておきたい。
作品として世に出されたものは「作品」として
享受したいと言う気持ちの方が大きい。
作者を知って作品に幻滅したくない。

私は一度、完全に村薫作品から心が離れている。
数年前に、書店の本棚に『太陽を曳く馬』
ハードカバーが並んでいて、合田雄一郎作品、
と言う事でとりあえず上巻を買って読み始めたのだが、
20数年前に傾倒していた村作品の印象とは
まるで違っており、緻密に書かれる事と、
一つの物事を粘っこく書くのとでは理解の仕方が
違うな、と思ってしまった。
こんな作風の作家だっただろうか、なんでこんなに
読み進みにくいんだ…と言う気持ちが湧いてしまい、
結局、上巻も読み終える事が出来ず、下巻は
未だ購入してない。
私が抱いていた村作品に対する「硬質さ」は
こう言う感じだっただろうか、自分の勘違いか、
もしくは理解の差か、読まずにいた間に
作者の作風が変わってしまったのかは未だ
確かめる術はないが、とりあえず、未だに
読めていない。

村薫と言う作家に傾倒している読者では
ないので、他の小説と同じように読んだ。
傾倒すべきものは過去に持ち合わせていたが、
ある時にその気持ちが離れてしまった事に
嘘はつきたくない。
適度な距離感を持って作品のファンでありたい、
と強く思うようになったのは、BLをがんがん
読み始めてから余計にそうなった。

BLと言うジャンルであれば許容してしまう甘えを
廃し、純粋に作品を享受する、と言う事が
如何に難しいことか。
作家の名前に引っ張られ、評価が甘くなるのは
一般書でも同じことだ。
私は「コノハラー」だが「タカムラー」ではない。
かと言って、作品自体の素晴らしさに気付かない
愚かさもない。
個別作家の熱烈なファンではないが、この度
きっかけを得て20数年前に読んだものを
もう一度読み返そうと思ったのは何かの
縁だと思う。

相変わらず専門的な所は、言い方をより下世話に
すると「退屈」なのであるが、登場人物の
立ち居振る舞いに関しては「解る!!解るぞ!!」
と言う気持ちで読んでいた。
解ると言うのは、登場人物に感情移入して
彼らが何を考えているか解る、と言う意味では
なくて、至極客観的に書かれる高村薫と言う
作家さんの人物描写を読み解けると言う意味での
「解る」である。
恐らく、これは私がある程度の年齢を経て
今に至っているからだろうと思う。
年を食って理解力が高まった、と言うのではなく、
角度を変えて読むコツを少しばかりでも若い頃より
得ているんだろうな、と言うくらいのものだ。
簡単に言ってしまうと、深読みをすると言う
読み方に於いて、こなれてきた、と言う事だろう。

99%、自分の苦手分野の事が書いてあっても、
たった1%報われたら、その本を読んで良かった、
苦手意識出してスルーしなくて良かった、と
思えるもんでもある。
緻密な強奪計画の描写の場面は、その知識が
ない為に、私には退屈で、読み進むのが非常に
しんどいページだった。
こう言う時に思うのは「いつ報われるんだろうか」
と言う気持ちで、それは読んでいる作品に自分の
気持ちが一気に持って行かれる瞬間が訪れるか
どうか、と言う事だ。
どんなに面白くないな、と感じながらも、自分が
購入した本は最後まで読むのが癖で、かなりの
忍耐を強いられようと遣り遂げて来たのだが、
興味が離れて読むのを放置しているではなく、
自分から「読み通すことはできないな」と読むのを
辞めた本と言うのが同じ村作品の『太陽を曳く馬』
上巻だった。
同じ作者で同じ事が起きるのは容易に想像が着く。
私に合わない、と言うのは、これはもうどうしようも
ないわけで、小学校で読まされる図書ではないので、
自分の意志で読む・読まないを判断できるから、
読まない選択肢もある訳だ。

本音をぶっちゃけると、北川も幸田もモモも野田も
春樹もジイちゃんも、魅力的な登場人物であるのは
解るのだが、村薫と言う作家さんの特徴である
人物の内面である感情の動きを極力文字にして
書かない、行動主義と言うか、行動を描写する事で
その人間の考えている事を読み解かなければ
いけない作風は、自分の想像力の成否を判断する
第3者がいない場合はとても難しいのだ。
自分はこう思うが、もしかしたら勘違いかもしれない、
そう言うリスクを背負って読むのは。
村薫は頭のいい作家さん、と言う固定観念が
更に深読みに待ったをかけたりする。
もっと奥があるんじゃなかろうか、とか、私の様な
読者が考える事では足りないのではないか、
そう言う事を考えながら読むのはちょっと違うな、
と言う気がして『太陽を曳く馬』を未読で閉じて
しまった訳だ。

春樹が幸田にちょっかいを出す場面でようやく、
そんな難しく考える事無いぞ、と言う気がして来て、
ようやく(これはひょっとしたら幸田を中心に渦巻く
男たちの感情の物語として読んでいいんじゃね?)
と言う安堵感を経て、物語の中に入っていった
次第である。
物凄く下世話で邪な読者で申し訳ないと思うが
仕方がない(笑)

本が一冊あったとして、私はその半分も
ひょっとしたら頭の中に入れていないかもしれない。
何度も書いたが、専門的な所に来ると頭が
拒否反応を起こしてしまい、どんなに凄いかが
解らない部分を理解しようでなくて、
理解しなければならないと思うくらいなら
字面だけを追って、脳内で処理してしまう方が
読み進む事は出来る。
書かれている文字は、作者が一文字一文字
紡いだもので、そこに意味がない訳がない、
昔、BSマンガ夜話で、漫画は作者が手で
全てを描く訳だから、意味があって描いている、
と言っていた。
描かれているものを全て見れば、作者の
狙いが解る、と言う解説をされていたのだが、
そこに気付かない読者は、読み説く能力を持った
人に教えて貰って読める様になればいい訳だ。
なので、私の読後感は、金塊を強奪する
男たちの人間ドラマの方に重きを置いた
至極偏った読み方によるものになってしまう。

そして、村薫と言う作家さんは、至極頭が良く、
理知的で、理系で、合理的な考え方をする、
と言う固定観念をもって読むと解らなくなる
のだ。
実は、物凄く頭がよく合理的であるにも関わらず、
人の情に非常に弱い、情に流されてしまう人たちを
描いている作家さん
なんだ、とやっと気付いた
次第である…
     (続く…

黄金を抱いて翔べ (新潮文庫)
新潮社
高村 薫

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 黄金を抱いて翔べ (新潮文庫) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
約20年ぶりの再読『黄金を抱いて翔べ』A ことぶき猫玉日記/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる