ことぶき猫玉日記

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zoom RSS 約20年ぶりの再読『黄金を抱いて翔べ』@

<<   作成日時 : 2014/01/12 23:11   >>

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正直に白状してしまうと、私が村薫作品に傾倒して
いたのは20年以上前で、初めての村作品は
『マークスの山』であり、その頃諸事情あり、
犯罪もののフィクションを貪るように読んでいた私には
フィクションは「ぬるかった」のだ、そんな中、
新聞の新刊案内で「本格的警察小説」と言う謳い文句が
目に付いて(その頃は新聞も読んでいた、今は一切
読まなくなった)警察小説は推理小説のジャンルの
一つじゃないんか…ととても気になり、いわゆる
「ピンときた」と言う勘が働いているのだと信じて、
本屋で手に取り、即行購入。
一気に読み耽った。
最初、作者の予備知識など全くなかったので、
村薫と言う作家は男性だと思い込んでいた。
警察と言う組織の細部の緻密さ、そこへこれだけ
労力を割き、客観性を持って書けるのは男性だ、
と思いこんでしまったのだ。
どこかで、女性作家は「私小説」こそ本領発揮できる、
と言う風に思い込んでた若い自分の勘違いもある。

とにかく、読んで圧倒されて、その頃は自分でも
創作を趣味として続けていた訳だが、文字通り
「こんな作家さんがいるのであれば、自分が書く
必要はない」
と打ちのめされた。
言葉を変えると、こんな凄いものは何年経っても
自分には書けそうにないので、自分は作家には
絶対になれないだろうな、と言う事だ。
それまでも、凄い本を読んだ後は衝撃を受けて
来ている訳だが、これまでは「こんな作品が書ける
作家になりたい」と言う方向に働き、意欲を
湧き立たせてくれるものになっていたのだが、
『マークスの山』は違っていた。
凄過ぎて圧倒されるだけで、自分の創作意欲は
根こそぎ奪い去られてしまっていた。
それでも、読み終えた直後にすぐに再読し、
結果、計4回立て続けに読んだ記憶がある。
4回ともに号泣して本を閉じた。
小説の持つ凄味にひれ伏した。

私の村作品に対する頂点は『マークスの山』であり、
無論、即後追いで既刊本から新刊から読んだのだが、
作品の完成度やレベル的に越えないのではなく、
『マークスの山』を読んだ直後にもたらされた
自分の中の衝撃を越えないと言うだけで、
読むには読んでいたのだが、『マークスの山』以外は
読んだ傍から覚えておらず、現在に至る。

村薫作品は決して安易には読めない。
緻密と言うよりは、読者が字面を追って
自分の脳内で組み立てる作業が必要な作風だ。
端的に書いてある分、この理りに対してを何も知らない
予備知識のない読者にも平易に理解出来るようには
書いてない。
部下に物を教える際に、教科書的に脱線せず
事務的にやるより、例え話を出したり、自分の過去の
経験を述べる方が「何も知らない」部下の頭の中に
点と点の間の線が結びやすくなる、と言う、
あの差異に似ているかもしれない。

『黄金を抱いて翔べ』を再読し始めた。
金塊強奪計画を立てる手順に登場する様々な
専門知識、その緻密さ、現実味で、これを手本に
強奪計画が立てられるとまで言われているが、
その凄さが私には解らないのだ。
プラスティック爆弾何グラムでどれくらいの爆発が
起きる、と言う知識のない人間が読んでも、
それが恐ろしく正確で専門的である、と言う面で
感心が出来ない訳だ。
知識のないものに「凄かろう」って自慢しても
馬耳東風でしかない…それは無論、自分に
知識がない訳だが、専門書を片手にしないと
読めない小説は「娯楽」ではない、と思っているので
正直、その緻密に満ちた強奪計画の部分は
読んではいるが脳内でスルーしてしまう…
緻密なのだな、と言う事は解るが、私の中で
具体的にどれほどのものなのか、と言う線が
結ばれないわけだ、しょうがない、知識がないから。

『マークスの山』に対してそう言う印象が
なかったのは、警察と言う組織、それは会社の
組織にも通じるものがあり、自分とはかけ離れた
ものと考えなくて良かったからだろう。
加え、私は脳味噌が理系に出来てないので、
物理だの化学だの数学だの、と言う気配を感じると
シャットダウンしてしまうような頭の構造
だ。
かと言って理屈に合わない、合理的でないものも
嫌いなので、これは「理系の勉強が苦手」
と言う、ただそれだけの事だったりする。
合理的に物事を捉えはするが、それは理系の
頭脳を持っている人のそれとは違うのだ。

登場人物の心情ばかりをぐちぐちねちゃねちゃ
書かれるものも嫌いなんだが、苦手分野の
知識がないと理解できない、と言うものは
もっと苦手な訳である…だから、『黄金〜』も
解らない事がいっぱい書いてある文字数が
実は非常に多い小説で、この部分は頭の中で
図面を引いて、などと言う事は完全に放棄し、
読み飛ばしている訳だ。
物語を彩る風味くらいにしか読解してないだろう。
この点で、高村ファンとの温度差が生じている。
舞台は整った、想像力で専門的な事が
理解できなくても何となく解る、次はその世界で
生きている人間たちの背景、そちらの方に
読解力を深めるような書き方をしてくれたら…
村薫と言う作家さんは私の中ではそう言う
作家さんなのだ。
人物描写まで骨の髄まで客観的だからなぁ…
と言うのが、読む前・読んでいる最中の、
私の偽らざる気持ちだった。

大体、再読しようと思った動機も不純なのだ。
男性の同性愛が描いてある小説を好んで読むので、
やったのか、やってないのか、好きなのか、
好きじゃないのか、ぼやかされて書かれると
不完全燃焼を起こしてしまう。
事実としてやったのであれば、やったと書いて
困る事があろうか、と言う考え方なので、
これはBLじゃなくて一般小説なのだから、
と言う理屈は私には通用しないのだ(笑)
男女の性行為は書くのに、男同志になると
及び腰になるのであれば、男同志なんぞ
書かなければいいではないか、くらいに思っている。
一般小説であればこそ、同性愛と言う、
現実的には未だマイノリティである性志向を
取り入れると言う事に意味はないのか、と
思ってしまうのだ。
加えて、一般小説なだけに、男性同士の
同性愛がテーマではないからで、テーマでは
ないからこそ、やったかやってないかぼかされると
その作品に対する私のモチベーションが
全く違ってしまうからだ。
これは全くの私の身勝手な好みで、他の人に
押し付けるものでも、作家さんに押し付ける
ものでもない。
だからこそ、ただの読者でしかない私は
数多ある本の中から、読みたい本を選ばなければ
ならない身でもあり得るから、選べるように
自分の中に「項目」を明確にしている、と言う
事でもある。

『黄金を抱いて翔べ』が精神的ホモな作品である
と言う理解はしていたが、具体的に「やった」か
どうか、と言う部分で記憶にない。
ないと言う事はやってないんだな、と判断しており、
今回、『黄金〜』ファンのフォロワーさんに
下世話だと解っていながら「確認」をとり(笑)
あれはやっていると言う描写である、と言う
確証を取り付けてから、俄然スピードに乗って
読み進んだくらいの、下衆な読者であった訳だ…
村薫と言う作家さんを読むのに自分は未熟
なのである。
    (続く…

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