小説『彼の命』③(東京喰種に寄せて…)完

うちの運送会社には、特殊清掃部門と言うものがあった。 自殺者や、事故死など、家の中で起きた死亡者の部屋を 清掃・片付けを専門にしていて、清掃と後処理が主な仕事だった。 長い間発見されなかった遺体の痕跡、ヒトの遺体の残した 壮絶な足跡を特殊な溶剤を使用して、そこで死んだ人間など いなかった様な状態に戻し、遺体の主が残した物たちを 処分するまでが一案件の流れになっている。 島さんは以前からその特殊清掃部門に異動を請われていた。 引っ越し部門で、島さんは一目置かれ、その有能さで 特殊分野を担って欲しいと言われていたのだった。 痩せぎすで、たまに事務の女子たちが「死神っぽい」と 軽口をたたくような雰囲気も、そう言う配置異動に拍車を かけたのかもしれないが、単に特殊清掃部門の主任クラスが 両親の介護の為に家族ごと田舎に帰る事になり、 急きょ人員補充が必要になったためだった。 「俺は、特殊清掃は、できません」 とだけ言い、島さんはその場で退職を申し出た。 「島さん」 俺の声に島さんは振り向かなかった。 辞める必要はない、そこまで言うのなら、今まで通り引っ越しの方で 続けて欲しいと会社も言う筈なのに、こんなに唐突に。 ロッカーの中の少しの私物を攫う様に手にして、島さんは 出て行った。 事務所内が唖然としているのも気にせず、まるで辞表を 叩き付けた反骨心むき出しの人間のように。 「島さん!!」 俺は一年見続けた背中を追った。 特に二人で何かを成したとか、そ…

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小説『彼の命』②(東京喰種に寄せて…)

2階建てで12棟の賃貸アパートに戻って来た時、母親が出て行った あの日のように部屋の中が冷えていて、妹は帰宅していなかった。 慌てて携帯を開くと、見慣れない市内局番の着信履歴が残っていた。 嫌な予感がして、妹の携帯に電話をかけた。 今、駅前の交番にいる、迎えに来て欲しいと言う声と入れ替わりに 年配の男の声で「お兄さんですか、妹さんがここにいます」と言われた。 交番に着くと、妹はずっと顔を俯けたまま、俺の履いた汚れたズックを 見つめた。 未成年と言う事で交番に保護した、あまり柄の良くない場所を うろついていた為、保護されながらも怯えている妹の気持ちが 痛いほど伝わって来た。 3人の男たちに絡まれている所を通行人が見かねて交番まで 知らせに走り、保護に至ったと言う事だった。 なぜそんなところに居たのか、警官側にも聞きたい事はあるだろうが 現状は通行人からの通報で警官が保護した高校生と言うだけだった。 身分を証明するのに免許証を提示して、注意を促され、交番を後にした。 妹は俺が来てからずっと俯いたままだったが、俺と同じ様に 警察官に「ご迷惑をおかけしました、有難うございました」と繰り返した。 「友達と来たのか?」 アパートまで2駅だったが、どちらともなく歩き出した。 「一人で来たのか?」 「今日は、一人」 「何か用事があったのか?」 「用事は、ない。なんか、歩いたらそこにいた感じ…」 「あの辺は行くな、危ないだろ」 繁華街の暗がり、堅気の大人でも…

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小説『彼の命』①(東京喰種に寄せて…)

『東京喰種』読んでいる時に聞いたせいもあるだろう、 米津玄師の『Orion』と言う曲に触発されて、こう言うのも 二次創作と言うんだろうか。 グールの世界観の中には、描かれないだけで、物語の登場人物 以外のヒトと喰種の物語も日常として在ると思っていて、 例えばこう言う感じであったりもするんじゃないか、と言う 自分の想像力とか相まって、一気に書いてしまった。 米津玄師の『Orion』は、アニメ『3月のライオン』の2クール目の ED曲で、初めて聴いた瞬間からイイ曲だなぁ、好きだなぁ、 と思ってしまった曲でもある。 通勤電車の中で繰り返し聴きながら、もし、喰種と出会って、 ヒトである自分の前から彼が消えてしまったら、この曲を 聴いて泣きたくなるんじゃないだろうか、と思って書いた。 題名『彼の命』        作:月本 繭 若者が週末を楽しむ繁華街の通りで、その歌が聴こえて来た。 「神さま どうか どうか」 サビのフレーズが頭の中に飛び込んできて、何の事はないのに 目の裏に熱を感じだと思ったら、俺は泣きそうになっている自分に気付いた。 神さま どうか どうか、 彼が生き延びられますように。 俺は心の底から、神さま どうか どうか と、その歌のフレーズをなぞり、 繰り返し、心の中がいっぱいになるのを、涙がなんで流れるのかに 戸惑いながら、それでも、神さま どうか どうか と言う言葉を 繰り返していた。 俺の家、俺と、両親と…

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創作小説『その後の住人』

  ※『記憶の住人』のその後編です。 一居生也は一見冷たそうな感じに見える顔をしていると思う。 初めて会った時も、仕事で露骨に嫌なことがあったらしく、理不尽さに 腹を立てている様な顔していて、とても不機嫌そうだった。 それが年上の上司に対する甘えの現われだとすぐに分かった。 上手に甘える術を持った男だな、と思った。 その場にいた年上の男たちは、生也の機嫌がなんとか直らないものかと 冗談を言って深刻さを中和しようとした。 整った顔立ちなので、要らぬ誤解も招くだろうが、誤解したものは そのまま放置しているような潔さが感じられた。 生也はどちらかと言うと曖昧を好まないし、趣味嗜好も明確だった。 何かに影響されて流されることもなかった。 ずっと昔から、自分のことは自分で判断してきた 腹の坐ったところがあった。 事故の前に、俺の隣で一睡もせずに暗闇を光る瞳で凝視していた 生也には、他人がどうこうしたとしても揺るがない暗部が 存在しているのだろうな、と漠然と俺は考えていた。 いや、考えようとして、考えなかった。 俺が眠るとベッドからするりと抜け出て、弱い水流でシャワーを 浴びていた生也のその部分を知ってしまっても、俺にはどうしようも ないんだろうと勝手に思っていた。 事後にシャワーを浴びてからでないと眠れないと言う事が解って、 俺はくたくたになるまで生也の体の隅々を味わい尽くし、 生也が疲労に負けて目を閉じた時に、体を拭いてやることにした。 濡れタオ…

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『動じない男』

※私がBLに戻ってくるきっかけはヤマシタトモコの  「くいもの処 明楽」を読んだからに他ならない。  読まなかったら、ここまで戻ってくることはなかったと思う。  生粋のJUNE世代なので、初めて読んだ『リアルBL』に、  正に脳天撃ち抜かれた。  JUNEを貪るように読んではいたが、どこかで「耽美」が  一番好きなものではない、とも薄々気が付いていた。  そして、本当の日常の中に男子同士の恋愛物語は  描けないものなんだろうか、禁断の愛だから?  でも現実にホモセクシャルの人たちは今も生きているだろう、  と、思い続けていた。  特殊な設定を設けないと描くことが難しいんだろうか、と。  ホモセクシャルと言うものが「特殊」なジャンルで「一部」の  人間にしか関係のないもの、と言う捉え方でない何か、  そう言うのが読みたいなぁ、と思っていたので、  昨今の『リアルBL』と言うジャンルは、正に私が思春期から  ずっと具現化を望んでいたもので、いい時代になったなぁ、と  心底思う。  「くいもの処 明楽」の中でも好きなのが、明楽の地元の先輩で  店のオーナーの牧祐介と言う男なのだが、BLにありがちな  一つカプが出来れば何故か周囲の皆がいきなり男同士に  目覚め・・・と言う展開は望まないのだが、牧祐介と言う男は  何となく「男に、しかも年下の人癖ありそうな男に」付き纏われるのが  凄く似合う気がして仕方ない。  そう言う物語を読みたいなぁ、と今でも思ったりす…

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創作小説『記憶の住人』●上書き保存

●第9章:上書き保存 俺は休日だったが、カフェで弓削を待った。 顔見知りの店員に聞くと、2日ほど弓削は来ていないと言っていた。 そうであれば、今日にも弓削がカフェに現れる可能性が高い。 俺は握り締めた携帯を、鳴らそうかとも考えた。 弓削はカフェで偶然出会って休憩を共にする知人なんかじゃなかった。 そして、弓削の会社は1号店からは近いが、ここへは2駅分ほど 歩かなくてはならない距離だった。 俺は何度も弓削のベッドの中で目を覚まし、そこから出勤して、 また会社が終わると弓削と会って、夕食を外で食べたりしていたのだ。 あそこも、あの店も、弓削と行っていた、弓削と一緒に、共通の時間を 過ごしていた。 俺は、弓削に自分の気持ちが言えないことをずっと悔いていた。 そして、怖かった。 気持ちが伝えられないのではなく、弓削とも触れ合えなくなるかもしれないから 怖かったのだ。 俺は秀一に恐怖を植え付けられて、それを払拭したくて、大丈夫だと 自分を説得したくて、名詞を尻ポケットに入れてきた男で試そうとした。 そう言う、自分勝手な自分が居たことも思い出した。 弓削に会っていると、そんな思惑を持っている自分が辛くなってきた。 ずっと、弓削に隠し事をしながら付き合っているような気がしていた。 弓削と裸で触れ合っている時に、それが望んだ行為であると知る自分と 蹂躙された肉体であると知っている自分…

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創作小説『記憶の住人』●生身の記憶と覚醒

●第8章:生身の記憶と覚醒 俺を傷つけ、俺が思い出したくなかったのは秀一の顔なんだろうか。 秀一は俺に拒絶されていると分かっていて、俺の病状を知ると、 そ知らぬ顔で現れた。 俺が何も思い出さないように、いい思い出だけをいっぺんに思い出させた。 本人がその記憶の中のそれは俺だ、と言ってくれなければ記憶の すり合わせは完成しない。 もし、秀一にされたことを俺が思い出しているとしても、秀一がそれは 俺じゃないと言えば、なかったことになってしまうのだ。 俺は誰かに暴力をふるわれたかもしれないが、それは誰か分からない。 そんな事があったと、俺が話す確率の方が低いに決まっている。 秀一がそうしようと目論んでいたこと、それを逆手にとって 俺は信じることに決めた。 あの時の、一方的な暴力の波をぶつけてきた幽霊の正体は 今も分からない。 それを俺が信じ込めばいいんだ。 俺が受けた行為と衝撃は俺の中にあり、なかったことには出来ない。 俺は秀一を許せなかったんだろうか。 秀一の気持ちは一方的で、それが愛によるものとお題目を掲げても 決して正当化されるものではない。 秀一の俺への執着がいつどこで生まれたのか、俺は全く気付かなかった。 あの、就職祝いと言って秀一の家に行き、しこたま酒を飲んだ時に 俺はなにか迂闊なことを口にしなかっただろうか。 ずっと俺に気付かせなかった秀一の感情を揺さぶるような、 たきつけるような、そんなことを言ってしまったんじゃないだろうか。 今更それを…

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創作小説『記憶の住人』●誤作動と修正

●第7章:誤作動と修正 秀一の体が塊となって俺に向かってきた時にはもう、 俺の体は洋室の床に叩きつけられていた。 尻、背中、頭の順番で俺の体は倒れたが、反動がついて 頭を床にぶつけてしまった。 痛みで体をくの字に曲げようとしたが、秀一の体がのしかかってきて 痛みは体中を駆け抜け、俺は暫く本心状態になった。 視界が白く染まり、意識が一瞬、体を離れたような感覚になる。 ふいをついて正面から向けられる体積に、俺はこれが 二度目だと言うことを思い出してしまった。 秀一が俺に暴力の波動をぶつけている。 腹に馬乗りになり、秀一の両手は俺の襟首を掴み、 首を絞めようとしている様にも思えたが、そこで留まり、 振動が伝わるほどに震えていた。 秀一の両手が、握ったシャツを引き裂きたいと震えている。 視界が戻ってくると、秀一の顎に剃り残された髭が見えた。 身なりをきちんとしている秀一が遠く感じられるのは、あの日と同じだった。 性的な意味合いに於いて、秀一が俺に感情をぶつけてくるのは 2度目だった。 俺の頭の中のHDDはメモリ容量が足りずにカラカラと音を立てて 軋むように作動していた。 読み込み速度が追いつかず、時折止まりそうになる。 止まってしまったらお仕舞いだと言う気持ちが働き、俺は自分の肉体の 感覚を懸命に追い続けていた。 そうする事で、頭だけでものを考えるのを回避できると言うように。 「あいつのこと、分かっているんだろう、生也」 肉体を押さえつけられている怒…

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創作小説『記憶の住人』●混乱

●第6章:混乱 年末が近くなると、仕事は立て込んで忙しくなってきた。 昼休憩が取れない日もあって、この時間帯に弓削が 来ているかもしれないと思うと、消化不良感が湧いてきて仕方なかった。 夕方ごろにやっと一息吐けるようになっても、イレギュラーな時間帯に カフェに行ってもやはり弓削の姿はなかった。 何日も弓削の姿を見ていない気がする。 丁度、谷原と会って、弓削と喋れなかった日からなので、弓削に 俺がもう休憩の過ごし方を変えたのではないか、と勘違いされるかも しれない、と言う危惧が頭の隅にあった。 どうしても弓削と同じ時間にカフェに行きたかったのだが、 タイミングが悪い時は更に色々と重なるもんで、 俺は10日近くいつもの時間にカフェへ行くことが出来なかった。 弓削と会わなければならないと言う義務感に似たものが押し寄せてきて 居ても立ってもいられなくなる。 習慣化されているものが欠けてしまう未達成感なのかもしれない。 家に帰ると秀一が来ていて、俺が苛立っていると言って 原因をしつこく聞いてきた。 弓削のことは秀一には話していたから、顔を見ないから相手に何か 起ってないか心配だ、と言うと、見る見る秀一の顔が能面のように 白くなっていき、早送りの映像のようだと思った。 「なんか、ストーカーみたいだな、毎日カフェにいるとか、おかしくないか」 「あそこら辺のショップ店員はあそこに集まって来るんだよ」 「でも、ショップ店員じゃなかったんだろ、なんかおかしくないか」 執…

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創作小説『記憶の住人』●記憶とリアル

●第5章:記憶とリアル 弓削との関係は親密度を増していくように感じてはいたが、 どうしてもあのカフェの喫煙ブースから外へ広がってはいかなかった。 休みの日は何をしているのか聴いても、新作映画の話をしても、 弓削はよどみなく話すが、一緒に行こうとは言わなかった。 公私混同をしたくないタイプなんだろう、俺とは、洋服を購入する ショップの店員であり、自分が行きつけにしていたカフェで会って 昼休みの暇を潰せるくらいに会話が成り立つ相手、そんなとこだろう。 俺は弓削との事を誰にも話さなかった。 新しい友人や知人が出来て、何かの拍子に 話に出そうとも思わなかった。 ただカフェで話をするだけの、未だに具体的に どんな仕事をしているのかも知らない相手を説明しろと言われたら、 説明できないだろう。 そして、そんな説明できない相手と毎日のようにカフェで会っている 俺が弓削をどう思っているのかも説明できなかった。 俺はいつも2番目の男だった。 秀一がいなければ、生涯において親友と言う人間は 一人もいなかったかも知れない。 専門学校時代に、俺は自分の性癖が結構幅の広いことに気付いた。 男女問わず、相手から求められれば誰とでも付き合った。 フリーである間は、なんでも受け入れていた。 そして恋人ごっこのようなことをして、それから必ず、相手に次の 好きな人間が出来て自然に接触がなくなっていく、 そんな関係ばかりだった。 俺は自分から相手に付き合いを要求したことは一度もなかったが…

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創作小説『記憶の住人』●秘密のともだち

●第4章:秘密のともだち 弓削とカフェで昼休憩を一緒にするのが俺の習慣に加わった。 事故前の記憶と違い、記憶のフィルムは鮮明で色濃い。 弓削は穏やかにゆっくり喋るが、その言動は頭の回転の速さを 思わせる言葉選びが多く、どんな本を読んでいるのか、とか、 大学では何を専攻していたのだろうとか、俺は弓削に興味を持つ 自分を抑えることが出来なくなっていた。 俺の性癖がそうさせるのか、これが単に好感を抱いている、 と言うことなのかは分からなかったが、カフェに弓削の姿がないと 残念に思うようになった。 見た映画の話をしたり、読んだ本の粗筋を話したり、会話は他愛なく なのに妙に心地よかった。 仕事の話はお互いにあまりしなかった。 小学校時代の個性的なクラスメイトのことを思い出して話せば、 弓削も絵に描いたようなちょび髭を生やした教師がいて、 生徒にからかわれ過ぎて怒髪天に達し、教室で気を失ってしまった、 と言う話をしてくれた。 本当に他愛のない話ばかりだったが、相手の度量とか力量を 加味することなく自然に話が口をついて出てくることが こんなに自然に出来るのが不思議でしょうがなかった。 他者と接する時に、誰もが感覚でもって喋り方・話の内容を 少しずつ変えて一人一人と接していると思う。 相手によってはタブーの領域があり、そこは絶対に 触れないように気をつける。 ジョークや洒落が通じない人間もこの世にはいる。 接客していると、この感覚は職業病に近くなる。 弓削には、…

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創作小説『記憶の住人』●記憶の住人

●第3章:記憶の住人 俺の日常は一定のリズムを刻み、一見平穏に流れていく。 秘密の友人の記憶に気持ちを揺さぶられはするが、 生活は乱れなかった。 2号店の、二車線道路を挟んだ向かいにカフェがオープンし、 ランチタイムにセットメニューが出てそれが低価格で手ごろで、 あっという間に周辺のショップ店員の行きつけの店になった。 新しい場所に行くより、以前行ったことのある場所へ行き、 顔のパズルを埋める事ばかりしていた俺は、 新しくて見慣れない場所に自分の記憶が生まれる新鮮味を味わっていた。 こげ茶色のカフェエプロンをした店員は、男女比が半々くらいで 店員の平均年齢は限りなく若かった。 周囲の店舗の人間が同じ様な時間帯にやってくるので、 一種の社交場になった。 俺は喫煙室の常連で、嫌煙家の波が押し寄せる中、 少ない喫煙者仲間といつもそこで昼食をまかなっていた。 通い慣れると、喫煙室ブースの中から、いつも見かける男に気が付いた。 ダークカラーの洋服を着て、暗めの色合いの髪を無造作に撫でつけ、 縁のはっきりした眼鏡をかけ、長身を折り曲げるように 窓際の一人用席に着いている。 厚ぼったい目蓋の一重の目をしているのに、眼鏡が似合う為か、 目が小さいとは感じないのは、顔の作りが全体的に大きめで整っており、 配置のバランスがいいからかもしれなかった。 男はいつも自分に合うシンプルな服を着ていた。 色味はダークカラーをベースに、たまに差し色にカラーを使う。 職業病じゃない…

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創作小説『記憶の住人』●記憶の推理

●第2章:記憶の推理 2号店では顧客のいない俺は、覚えていないお客さんに困ることもなく、 仕事は順調にいっていた。 仕事の記憶はそのままそっくり残っており、勝手がわからなくなる時は、 深く他者と関わって行った職務に限っていた。 自分が能動的に行っていたものは、何も困らずに 継続して行うことが出来るようだった。 真壁が何かと気を使ってくれるので、職場環境にはあっという間になれた。 むしろ周囲が、事故の大きさを考えると、 復活の早い俺に戸惑うことはあっても。 トラックに跳ね飛ばされた時に骨折した足首が最初は立っているだけで 痛みと疲労が耐えなかったが、それも徐々に忘れてしまうほどに 忙しく仕事をするようになった。 生活のリズムは徐々に整い、仕事と、記憶のパズルを当てはめること、 それが俺の日常として定着しかかっていた。 日常を取り戻しているのかどうかは分からなかったが、 少なくとも俺自身は混乱することなく過ごしていた。 職場周辺の人間関係と、秀一が絡む共通の友人たちは、 もれなくパズルに当てはまり、それだけで俺は大部分のものを 取り戻した気になっていたが、そこにぽっかりと空白が 口を開けているのに気付いた。 感覚的に、近年になってからの記憶で、俺が社会人として働き始めた 後の時代の記憶だ。 秀一とは接点がない。 その記憶に秀一は登場しない。 周囲の人間は、俺とその人物以外、町の風景でしかなく、俺には元々 関わらなくてもいい人たちらしい。 擦りあ…

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創作小説『記憶の住人』●プロローグ

●プロローグ 目に映る世界は、俺の知っている馴染みのある風景に 埋め尽くされている。 褪せたような色合いの青空も、林立する高層ビル群も、 地上を行き交う人たちもどこも変わったとこは見られない。 変わったのは俺だ。 俺の中にあったと言う、本来の俺は失くなっているのかもしれない。 一度死んで生まれ変わったみたいなものでもないのに、 俺はその失くしたように感じるものを、どうしても思い出せない。 半年前に事故に遭い、映画や物語の主人公のように、 俺は記憶の一部を失った。 過去の出来事の全てを失ったのならまだしも、 俺は人の顔だけを忘れてしまった。 事故に遭う以前の俺の生活や過去は覚えているのに、 そこに深く関わっている筈の 人たちの顔が思い出せない。 記憶は、俺の視点から振り返りながら、その場に関わっていた人の 部分が空間ごと消失し、人の姿は白い幽霊のような シルエットにしか見えない。 まるで夢心地、俺の過去はファンタジーになってしまった。 一居生也と言う人間は存在するが、その存在そのものが あやふやな形の取れない幽霊のようだ。 俺は、過去にと何かをしたであろう人たちの顔を忘れてしまったのだ。 記憶は残っているのに、その記憶を俺と一緒にその場に居て、 時間を共有し、会話し、触れ合った人の顔を思い出せない。 俺の記憶は、独りよがりの記録映画のようなもので、 何の感傷も抱けない無味乾燥とした映像でしかなくなってしまった。 俺は27歳で、一居生也と言う名前の…

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皆既月食の夜空の下、こんなメンズカップルがいたら…(妄想アワー)

昨夜の皆既月食後、妄想がふつふつと…(笑) 攻(皆既月食、見に行こうぜ) 受(今から?) 攻(今、今。観測スポット教えて貰ったんだよ) 受(外?) 攻(外、外。迎えに行くから、あったかい服着て来いよ) 受(寒そう~) 攻(ゴツいダウン、あっただろ、あれ着て来い。   あと、ブーツな、ブーツにインして来いよ、寒いから) 受(わかった。すぐ来る?) 攻(すぐ行く、早く着替えしろよ~) 携帯を切る。 穴場到着。 受は攻に言われたとおりのボリューム満点のダウンジャケットを着ている。 ボリュームあり過ぎ、おまけにラクーンの毛もぼっさぼさに付いているので、 上半身だけだるまのよう… 穴場にはすでに先客ありで、みな夜空を見上げている。 攻は写真が趣味なので、装備を配備し、芝の上にフリースのブランケットを 敷いて、受を横に座らせる。 ダウンの生地がシャリシャリ音を立てている。 攻はモッズコートを着て来た。 攻「コーヒー、ポットに入ってるからな」 そう言ったきり、攻は月の変化に夢中になっている。 時折、耳にダウンの生地が擦れる音が聞こえてくる。 幼児が履くぴこぴこサンダルと同じ効果。 シャリシャリ言う音が激しくなったな、と思って見ると、 手がかじかんでコーヒーをポットから注ぐのに 右側にカップを置くか、左側に置くか思案している受がいる。 ボリューム満点のダウンは座る姿勢で上に持ち上がり、 受の顎がダウンに埋まっている様に見える。 ボリュームに負…

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『公私混同禁止領域』後篇

藤井から店に電話があったのは翌々日だった。 一居は接客中で、店主が応対に出た。 この店は元々無類の靴好きの店主が趣味で始めたような店だ。 「クレームですか」 「いやいや、明日君が出勤しているか、という事だったが、定休日だ」 「定休日ですね」 「もう一足、オーダーを頼みたいと言う事だったよ」 「もう一足?一足目もまだできてないのに」 「プライベート用のものを作っておきたいと言っていた。  できるの一ヶ月かかるので、今申し込んでおきたいそうだよ、せっかちだね」 変な客だ、という、接客業に携わってまがいなりのも何百人の客を 相手にしてきた一居の経験から来る黄信号が点滅し始めた。 「どこかに出かける予定でもあるんじゃないのかな」 店主は呑気に言ったが、一居はそんなプラス思考にはなれなかった。 オーダーメイドの靴を履くことさえ始めての人間が、しかも一足目は上司に 付き合って注文するような人間が、出来上がりを確かめもせずに 二足目を注文したくなるような本当の理由が「出来上がるのに時間がかかる」 で終わっていいものだろうか。 嫌な予感はするが、本当にそうかもしれないとも思う。 「今日の仕事上がりには寄れるんだけど、って言ってるんだけど、  閉店しちゃってるからねぇ、週末にでも来て貰うか」 「僕が今日居残りしてもいいですよ、明日定休日だし」 疑いながら口に出た言葉は全く逆のものだった。 昨日の今日で、一居の中には罪悪感に似たものがくすぶっているのは 事実だったが、自…

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『公私混同禁止領域』中篇

会社の上司に連れてこられた30代になったばかりと思われる客は、 藤井と名乗った。 連れて来たのは商社の重役で、顧客リストに名を連ねている堺だった。 堺は、昇進した部下に「自分仕様の上等な靴を履け」と言って、 毎回昇進祝い代わりに部下を連れてくる。 堺の足は偏平足で、長時間歩くに耐えない足で、若い時に営業回りで 足首を痛めた時に、オーダーメイドで歩きやすい靴を作った方がいい、 と整形外科医に勧められてからの上顧客だ。 上顧客だったが、一居は好みの足ではない堺には、それほど親しみを 抱いていなかった。 何故か堺が連れて来る部下は、一居にとってはどうでもいい種類の 足の持ち主しかいなかったからだが、一居が気に入っており、 一居が出勤しているか確かめてからでないと店に来ない。 最初藤井は、社交辞令を述べる一居と部下の昇進を喜ぶ堺の会話をよそに 所在なさ気に店の中を見回していた。 無理やり連れて来られて困惑している、と言った様子だ。 履いてきた靴も高級品には違いないが、百貨店ですぐに手に入るブランドで 特にこだわりを感じなかった。 堺の世間話が長引きそうだと判断した一居は、藤井にオーダーメイド用の 靴のサンプル展示場所を指し示し「お好みのものをご覧ください」と慇懃無礼に 言ってから、出資者である堺との会話に戻った。 堺の他愛のないお喋りに相槌を打ちながら、藤井が棚に並ぶ靴のどれを 最初に手に取るかを見ていた。 藤井は、聞かれれば勧めたいと思うデザインを最初に手に…

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『公私混同禁止領域』前篇

靴下の上からでも、その人の足の形状が分かる。 持って生まれた能力なのか、好きが高じてこんな能力が備わったのか、 逡巡するにはあまりにも自分のアイデンティティーと密接に結びついてるので、 一居(いちい)は考えるのをやめた。 オーダーメイドの靴屋の店員になって、自分にとって最適な職場環境に 身を置くことになった時から、理屈をこねくり回すのはやめたのだ。 これは自分が選んだ道で、ここに来るべく動いたのは自分でしかなかった。 他者の足の形状に只ならぬ執着を持つ自分の性癖は、表に出せないので あれば、仕事として活かす方が世のため人のためだからだ。 そして自分の欲望さえも満足させられるとなればこれ以上のものはない。 自覚したのがいつだったか、一居の中にもはっきりした線引きがない。 ただ、裸足の足の裏を人に見られることが極端に苦手で、小さい頃から 夏でも靴下を履いて過ごし、母親に足の裏を拭いてもらうような事さえ 避けるようになっていた。 この恥ずかしさがどこから来るものなのかは分からなかったが、 自分がひたすら人の目に触れないようにしている部分を他の子供が 無防備に晒してるのを見て、値踏みするようになっていた。 祖母の法事の際に母方の田舎に赴いた時、お経を上げる坊主の見事な 剥げ頭にしばし目を楽しませた後、前に座る叔母の正座した足の裏を ずっと凝視していた。 黒いストッキングから透けて見える肌色と、無防備にこちらに向けられる 人間が二足歩行をする限り容易に見せる部分では…

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『暁の混合種』Chapter:23(完)

マシューズは1週間、混沌とした精神世界を彷徨い、衰弱し、死んだ。 徐々に緩慢になっていく口から、カジンスキーとの思い出話がこぼれ、 掠れた声で笑い、大きく息を吐き、喋らなくなった。 「好きだったぞ、お前のことが」 「俺には大事な相棒だ」 「好きの意味を考えてくれよな」 「わかってる、ずっと考えてた」 「そうだな、だからお前は妹を引き取ったんだったな」 そう言って、満足そうに口を閉じた。 「おれは外にいる。  心臓の音を聴いてやれ」 ルカは小屋の中に二人の男を残し出て行った。 それから一日かけて、マシューズの心臓は鼓動を止めた。 ルカは朝陽が上ってから暮れ行くさまをずっと小屋の外で見ていた。 鳥の鳴き声と、夕方に少しパラついた雨と、風が木々を揺らす音を聴いていると 昔に戻ったような錯覚を覚えた。 雨に打たれて、森の中に逃げ込み、倒木した木と地面の間の潜り込んで 弟の覚醒を待っていたあの時間を思い出した。 途方もない時間のような、それとも呼吸を何回かするだけの時間だったような、 森が発する音だけに包まれた不思議な時間だった。 人間よりも強靭ではあったが、孤独だった。 世界にシモンと二人きりの錯覚と、これからも二人きりだという思いがあった。 時代は流れ、孤独さを満喫できない世界が待っていた。 静かに暮らすには騒々しい人間の世界に飲み込まれ、旧世界の生き物たちは いずれ地球上のある一端を担っていた舞台から姿を消すに違いなかった。 それに自分たち兄弟も含まれ…

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『暁の混合種』Chapter:22

セリアの容貌はカジンスキーとあまり似たところがなかった。 どちらもが片親にだけ似た兄妹のようだった。 マシューズの後ろから出てきたセリアは、憔悴し疲れきり、絶望しきっていた。 現実世界から逃れたい一心で、セリア自らが吸血種の存在を求め、 辿り着き、選択した結果だったが、彼女の望み違った。 ペアリングパートナーに飢える若輩者の吸血種の甘言に騙され、 自身の体が作り変わった後に、後悔の念が押し寄せて、耐え切れず、 混乱し、出奔に気付いたマシューズを巻き込んで逃亡した。 セリアの顔に表情はなく、カジンスキーがかける言葉を失ったのを ジョナサンたちと対峙した時と同じように彼の数歩後ろに立ったルカは感じていた。 あまりにも生気のない生まれ変わった自分を放棄したセリアの顔。 「…マシューズはなんでお前と一緒に来たんだ」 詰問口調にならないように気遣うカジンスキーの声音は硬かった。 肉親との再会を喜べはしないことは、セリアの表情を見ただけで悟った。 カジンスキーは近所に下宿している独り者のマシューズに、夜勤で帰れない時は 様子を見に寄ってくれと頼んでいた。 妹の様子がどこかおかしいことは話さず、BFが出来たようだが よそから来た人間のようなので、用心したいんだ、と、さも兄が抱くのに 不都合のない理由を話していた。 セリアが、ここでないどこかに行こうと決めていた晩に、マシューズは相棒の 頼みを守り、カジンスキーの家を覗いてから帰宅しようとしていた。 玄関が開いており、不信…

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『暁の混合種』Chapter:21

混合種の誕生は今に始まったことではない。 昔から特異な事例として存在していた。 混合種が畏怖の対象になったのは、混合種が親である吸血種に対し 親殺しという冷徹な部分を持ち合わせているからだ。 生まれた混合種は、なぜかそれが宿命付けられているかのように、 その精神構造は人間に近い特徴を見せることが多い。 そもそも吸血種は人間を「食欲を満たす対象」としての認識が強く、 懸想したり感情移入することは皆無と言っていい。 その為、自分を吸血の対象としての範疇に入れているだろう、 吸血種の片親に対して、混合種は本能的に自己防衛本能を発動させる。 この、本能からくる排除したい衝動が抑えきれずに、自分の片親である 吸血種に対して攻撃を加え、消滅させてしまう親殺しが発生する。 その為、吸血種の親は、子供の出産と同時に姿を消し、 育児を見守ることもない。 ルカとシモンの母親がそうしたように、片親がひっそりと混合種である 我が子を育て、世界の片隅で隠れるように生息する。 混合種が貴重種であるのは、育てる親である人間が、匿う様に育て、 先に死んでしまい、その頃には混合種の子供は独りで隠れて生きていくためだ。 混合種同士にコンタクトする術は殆どなく、みな、それぞれ孤独に生きている。 混合種の血が吸血種に更に強固な肉体を与え、真の不死の生物としての 完成度を高めるのだ、と流布し始めたのは今に始まったことではないが 比較的現在に近い時代に囁かれた。 近代社会で異種として人間の血液を摂…

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『暁の混合種』Chapter:20

カジンスキーの車が止まりきらないうちに、川沿いの小屋の一つから 数人の男が一度に外へ出てきた。 ゆったりとした動作を装っているが、出てきたのは大柄な男ばかりで、 それだけで立ち入り禁止区域に侵入したことを諌めに出てきたように見えた。 正確には4人の男たちだった。 カジンスキーは来た道を戻りやすい角度に車を停めた。 「やあ」 車から降りるのを待っていたかのように男の1人が声をかけながら更に近付いてきた。 平たい顔に、鷲鼻で、顎髭をふんだんに蓄えた黒髪に大男だった。 ゴシックホラーの物語に出てくるような、日に当たらない病的な感じはなく、 むしろ肉体労働者の逞しさが伺える。 吸血種が物語の主人公ではなく、この地球上で人類とは違う生態を持つ 異種という生物で、現在の世の中に適応し、絶対数は少なくなっても 営みを続けているのだ、と言うことを唐突に理解した。 数日ルカとひたすらドライブをし、吸血行為を封印し娘を守る父親でもあるシドに 出会い、吸血種と言うものを今この瞬間、世界中の誰よりも身近に感じているのは カジンスキーの他ならないだろうが、接しているほどに分からないことも 増えていくような気がしていた。 声をかけて歩み寄ってくる男は、カジンスキーが街中でよく見かける 危険な匂いを漂わせた人間と大差がない。 この危ない感じが吸血種のものであるとは思えなかった。 暴力を行使することを厭わない種類の人間にしか思えない。 危険信号は職業柄見分けられるが、それ以上のものが感…

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『暁の混合種』Chapter:19

翌朝、1ブロック先の簡易食堂でカジンスキーは一人前の朝食を摂った。 ルカは殆ど口をつけなかったが紅茶を頼み、煙草をふかしていた。 朝食後、すぐに出発する二人をサムとその祖父が見送った。 彼らのなにがこの行きずりの男二人組に思い入れを持たせたのかは 分からないが、祖父はルカとの別れをかなり惜しんでいるように 手を握り、撫でさすり、ようやく離した。 街道まで見送りに出ていた二人が見えなくなって暫くして、 ぼそりとルカが言った。 「おれとあんたがカップルだと思ってたみたいだ」 「カップル!?」 「共通項のない服装、兄弟でもない二人の男が一つの部屋に宿泊すれば  大概そう思われるだろ」 「カップルに見える方が不思議だろ、色気の欠片もないのに」 「あんたが親身におれの世話をしていたからさ」 「俺は落ち着いていたぞ」 「モーテルに着いて、彼らが目にしたのは、寝ずに看病する必死な  あんただったからさ。  第一印象は強烈に焼きつけられるもんだろ」 「俺は第一印象に縛られないように気をつけているぞ」 「職業柄だろ」 「お前はどうなんだ、第一印象重視するタイプか」 「おれは職業柄、第一印象で大体見当つける癖がついてる」 カジンスキーが取りとめなく思いついたことを口にするのに ルカは適度な相槌を打ちつつ、別のことを頭の反対側で考えていた。 何もするつもりはないが、カジンスキーがどう考えているのか、だ。 初対面の時のカジンスキーは、考えるのに疲れ果てて、ただ体を 動か…

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『暁の混合種』Chapter:18

「いつもは、人目のつかない場所に潜り込んで寝るんだ。  3日ほど寝ていれば、勝手に復活する」 言い訳するようにルカは言った。 「寝るんじゃなく、意識不明になるんだろ」 「意識はちゃんとしている、身体が動かせないだけだ」 見た目が意識不明なら意識不明だろ、と言い返しそうになったが、 元々自分の車のせいだったのを思い出してやめた。 何か言いかけて口をつぐんだカジンスキーの気配が伝わったのか、 ルカはぶっきら棒に礼を言った。 「あんたの予定が狂ってしまった」 「そんなものはいいんだ」 「おれは案内人なのに」 「明日、案内してくれればいい。  今日は一休みする」 カジンスキーは裏で糸を引くシモンの導きで、それほど寄り道もせず ルカに辿り着き、情報屋のシドを訪れ、的確に情報を掴んで 妹に近付きつつある。 だが、ここ数カ月の間にカジンスキーの精神世界は縦横に揺り動かされ 疲労を覚えていた。 シドの家で、久し振りに熟睡した。 ぼそぼそと喋るシドとルカの会話を聞いているうちに 深い眠りに就いていた。 眠るだけで情報の整理ができ、項目に分類することもできた。 妹に対して、後悔だけを抱いているだけではないのにも気付けた。 追い駆けているのは、妹の身を案じ、会いたいからだった。 過ぎてしまったことを取り戻そう、リセットしようなどとは考えなくなっていた。 妹に会えば、何をしたらいいのかが分かると気付いたからだ。 一人で妹に対峙するのではなく、案内人のルカがいるのだ。 …

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『暁の混合種』Chapter:17

ルカを運ぶのを手伝い、42度の適温のお湯を入れたペットボトルを 数回入れ替えに来てくれたモーテルの若者は、ここの持ち主の孫だった。 脳卒中で車椅子生活になり、モーテルの経営を孫に託した祖父に、 客に救急の事態が起こった時に初期対応ができるようにしておけ と言われ、救命士の資格を取った。 役立つ頻度は低いが、少なくともカジンスキーにとっては心強い 的確な対応だった。 寝ない・食べないでも平気そうだったルカが、 こうやって意識を手放す様に心底困惑していたからだ。 ルカの体温は、あっという間にペットボトルの中のお湯を冷やした。 水を捨て、若者が置いて行った保温ケトルのお湯と入れ替える。 ケトルのお湯がなくなる前に、若者が新しいケトルと入れ替える。 流れ作業のようにお湯の入れ替えをして、ようやく朝方、 ルカの体温は人肌を維持し始めた。 それでもまだ眠り姫のように目を閉じたままだった。 半日で着く筈だった丘陵地帯へ、カジンスキー一人で行こうとは 全く考えなかった。 ルカがそう言ったわけでもないのだが、恐らくルカ自身も カジンスキー一人では行かせないだろうと思ったからだ。 妹と対面するまで、ルカは同行するんだろうと思っていた。 朝になるまで、ルカは呼吸さえ止めているように見えた。 数分に一回、お腹が上下して、また死んだように動きを止める。 冬眠とルカは言ったが、正にそんな感じだった。 若者が止まったように見えるルカの呼吸に気付かないか、 ケトルを持ってくるたびに…

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『暁の混合種』Chapter:16

数キロ先のガソリンスタンドの年老いた店主のトラックに乗って、ルカは戻って来た。 店主はしっかりと雨合羽をはおり、雨の中をゆっくりした足取りでカジンスキーの 車へ近付いてきた。 「ボンネットあけてくれ、バッテリーを繋いでやるよ」 作業を済ませると店主は自分のトラックへ、ルカはカジンスキーの車の 助手席に座った。 「寒くないのか」 「ちょっと寒い」 ルカがいない間に、汚れてはいるが乾いたタオルと携帯用の毛布を 探しだして、後部座席に積んでいたものをルカに差し出した。 タオルで髪を拭いているルカの膝に、毛布を乗せた。 全身ずぶ濡れだった。 「着替えた方がいいぞ」 「下着しかない」 「俺の服を着ろ、いくらなんでも濡れ過ぎだ」 後部座席が、ここ数カ月のカジンスキーの生活空間だった。 移動しながらモーテルに泊まり、生活用品を後部座席に放り込んでいた。 後部座席に身を乗り出そうとした時、一瞬触れたルカの肩は 氷のように冷え切っていた。 信じられないほどの冷たさだった。 寝巻代わりに使用したかどうかも定かでないスウェットの上下が見つかった。 ルカはまだ雫が伝わり落ちてくる髪を拭き切らないままだ。 二の腕を膝に乗せて、動きを止めてしまっている。 「…まずい、たぶん冬眠状態になる…」 「は?冬眠?」 余りにも蒼白なルカの顔に、思わず首筋に鳥肌が走った。 「おれは基礎代謝が低いんだ…体温が下がるにも時間がかかるが、  上げるのにも時間がかかる…ちょっと動けなくなりそ…

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『暁の混合種』Chapter:15

車は、カジンスキーの重たい気持ちと、ルカのやりきれなさを 読み取ったかのように、突然停止した。 ボンネットを開けに行ったカジンスキーは、バッテリーが上がった、 と言って、予備のバッテリーを探しに後ろのボンネットに回ってから 浮かない顔をして運転席に戻って来た。 契約している整備会社に電話をかけようとしたが、携帯の電波が届いていない。 丘陵地帯まで広がる平原のど真ん中で、立ち往生とあいなった。 「困った」 「おれの携帯も駄目だ」 「困ったな、半日で着くと言ってたよな」 「車が動けばな」 ひと時、沈黙が流れた。 口にするように、カジンスキーがさほど困ってないのではないか、と唐突に ルカは感じて言った。 シモンからの銀の弾丸を受け取った時に感じたことだった。 カジンスキーは受け取ったが、これを使用すると言うことの現実的な意味を 本当に理解してから、車を発進させたのだろうか。 「妹に会ったらどうしたいいんだ。  連れ戻すのか」 連れ戻すことはできない。 地下室に監禁して誰の目にも触れないようにしたとしても、 人間の方が先に死ぬ。 残された吸血種は、縛り付けたものがなくなり、地上に放たれる。 カジンスキーは黙ってしまった。 「まあ、ゆっくり考えていろよ」 言うなり、ルカは後部座席に投げ込んでいたボディバッグを取り、 シートベルトを外した。 「レインコートなんて洒落たもの、積んでないよな」 「どうする気だ」 「おれが歩いて誰か呼んでくるよ」 「歩いて…

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『暁の混合種』Chapter:14

朝の光に、ルカの顔の産毛が透けて見える。 どこから見ても、彼は普通の端正な顔をした若い男にしか見えない。 1世紀以上を生きているルカの母親がすでにこの世にいない事は分かる、 では、吸血種に父親はシドと同じように、人間との間に子供をもうけた後、 吸血しない生き方を選んだのだろうか。 すぐに街を抜けて、平原を突っ切る幹線道路に出た。 ジョナサン率いる吸血種グループが今いるであろう丘陵地帯まで、 この道をひたすら走る。 その間は小さな村落が点在しているだけだ。 車を走らせるだけが目的なら、こんなに走り易い道はないが、 カジンスキーは辿り着かなければならないのだ。 楽しいドライブ旅行などではない。 朝日のきらめきは短い時間で終わり、雲行きが怪しくなってきた。 隣りのルカと二人きり、先にレジャーが待っている訳では決してないので、 車内でできることは話をすることだけだった。 「親父は何処にいるんだ」 「知らない」 「生きてるのか」 「知らない、物心ついた時にはそばにいなかったよ」 シモンが生まれる直前に姿を消した父親のことを、 ルカは殆ど記憶していなかった。 母親が話す言葉の中でしか、父親に触れた記憶がない。 愛した筈の人間の女が死ぬまで傍にいなかったのはなぜなのか、 母親は知っていたのかもしれない。 だからこそ、兄弟二人を、吸血しない混合種として徹底的に育て上げる 事に腐心し、今のルカが在る。 「親父は本当に異端児だったんだろうと思うよ。  人間の女とセ…

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『暁の混合種』Chapter:13

シドが作ったランチのサンドイッチを持って出発しようとした時、 子供部屋から鼻にそばかすを散らした金髪の少女が足音を立てながら 走ってきて、ルカの足にダイブした。 ルカは腰をかがめ、シドの娘のルーシーを柔らかく抱きしめ、 髪を一撫でして立ち上がった。 二人は全く言葉を交わさなかったが、より深い所で結ばれていると 感じさせる情感を交わし合っているように見えた。 カジンスキーがドアを開けた時、シドがルカに何かを手渡すのが見えた。 見とがめられたシドは、一端渡したものをルカの掌から取り返し言った。 「あんた、銃は持ってるんだよな」 「持ってるが、なんだ。  吸血種には通用しないんだろ」 「入ってる弾によるな」 シドの掌には、3つの弾丸の形をした銀色の物体が乗っていた。 「銀の弾、これは効果てきめん」 「シモンが送って来たのか」 自分の掌から移ったものに目をやったまま、暗い声でルカは言った。 「ひと月ほど前だったかな」 「あいつはおれに何をさせたいんだ」 誰に言うともなくルカが言うので、今更だったが自分をルカの元へ導いた 存在がいたことに気付いた。 「シモンって誰だ」 「弟だ」 「あのサイトの運営者はお前の弟か、だからお前の所へ行くように仕向けたのか」 「まさに仕向けられてあんたは来たんだ」 言うなり、さっさとシドの家から出てしまい、エレベーターではなく階段で下りていく。 ここの兄弟もうまくいってないのか、と考えて気付いた。 自分と妹の関係が決してうまく…

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『暁の混合種』chapter:12

おごそかに食事が終わると、ルカはキッチンのシンクですぐさま歯を磨いた。 腔中にいつまでも食べたものの感触が残っているのが生理的に受け付けない。 味の名残を、否応なしに突きつけられるの感触が嫌いだった。 歯を磨いたら、今度は煙草を立て続けに吸う。 磨いたばかりの舌の上に、ニコチンの刺激を与えて相殺させる。 ルカにとって食事は、罪悪感の伴う面倒な欲求でしかなかった。 恐らくそう感じるように、母親によって擦り込まれたのには違いないが、 今更それを払拭しようとか、克服しようとは考えなかった。 これで生きていけるのであれば、このままでいいと考えることも 止めようとしていた。 このやり方でいける限りは、止めなければいけない動機が今のルカにはなかった。 ルカは今頃シドの家に一泊している頃か、とつらつらと考えながら、 シモンも食事を取っていた。 ルカと同じ、鉄分のタブレットを大量に飲み込み、セロリを葉から齧る。 なんとも味気ない。 シモンは自分の血の半分に流れる、吸血本能を否定しない。 どくどくと脈打ち、常にどんな瞬間でもシモンと共にある。 電動車椅子を操作し、窓際に寄った。 窓下には夜の闇が広がっているが、それも街の明かりで薄められ、 なんとも頼りな気にシモンの目には映った。 ルカはシモンの手足になる事を頑なに拒絶している。 言葉で言ったわけではないが、シモンにはルカが考えている事が どんなに離れていたとしても手に取るように分かる。 ルカも、シモンの胸中が手に取…

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