ことぶき猫玉日記

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zoom RSS プロットは同じでも書き方で別物になるんだろうな…『屍者の帝国』@。

<<   作成日時 : 2013/07/22 00:49   >>

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『虐殺器官』を読んだ時、物語の面白さも
勿論だが、私が一番面白いと感じたのは
文体だった。
まるで海外文学の翻訳の様に、至極
客観的で作者の感情が透けて見えない
文体だった。
作風と言い替えられるかもしれない。
(日本人は良くも悪くも「情感」を美徳と
捉える傾向が強いので、登場人物の感情を
はっきりと文字にする事はないが、読者に
伝えようとする意識が高い気がする)
読み終えた時にすでに作者が若くして
亡くなっていると知って、心の底から
もう同じ文体の小説が読めないのか…と
切ない気持になった。
作者も、自分の死を悲しまれるよりも、
新作を望む読者に読んで貰えない、
と言う事の方が心残りだったんじゃ
なかろうか、と思った。

プロローグのみが伊藤計劃の作、と言うこと
聞いて、読むのを躊躇っていたところへ
本を譲って頂ける事になったので、
早速読んだ。
死者(作中では屍者と表記されている)に
電気的な信号を送ることで、死体に「職務」を
上書きし、労働力や戦闘力として人間の
代わりを務めさせる、と言う設定。
人は死ぬと21g重量が減り、それが魂の
重さであると言われている。
魂が抜け出て無になったっ物質としての
死体に、プログラムをインプットして、
機械の様に動かすと言う訳だ。
書き込まれた作業しかこなせないので、
至極従順、おまけに人間と違って心が
ないので、感情に乱されないし、
疲労する事もない。
死体を「資源」として死後も活用できる世界。

そこへ、フィクションの世界の中の著名な
人物が登場人物として登場する。
主人公はあの、ジョン・ワトスン。
ホームズに出会う前の若きワトスン博士。
設定は非常に面白い。
19世紀末の英国から出発する物語で、
ゴシックホラー要素もあり、ダーク
ファンタジーの匂いもするSF。
屍者と言うモチーフを解り易くするのに、
フランケンシュタインがザ・ワンと呼ばれる
存在として登場する。

プロローグのみを伊藤計劃が書いており、
殆どの話は作者の友人である 円城 塔
伊藤計劃の家族の許可を貰って作品を
完成させたと言う予備知識があって
読むせいもあるだろうけど、プロローグから
第1部に入った途端に主人公の「わたし」こと
ワトスンの語り口調に若干の違和感を
やはり覚えてしまうなぁ。
簡単に言ってしまうと、説明的で回り
くどくなる。

『虐殺器官』でも思ったが、この作者の作風の
最たるものはある種の軽妙さだと思う。
そして、主人公であるから当然物語の根幹を
担う役目を背負っている筈なのに、当事者の
ナルシシズムが全く感じられないとこで、
一部に入った途端に「わたし」が饒舌に
なってきた、と言う風な違和感を覚えて
しまった。
だが、ここは仕方のない部分だ。
なんせ、書いている人間が違うのだから
同じプロットで別人が書いても同じものに
成らないのは自明の理だからなぁ。
物語の世界観・ジャンルとしては非常に
興味深いものだから、この分厚さも楽勝
だろうな、と思って読み始めたんだが、
なんだってこう、こ難しく書くんだろうなぁ。
ああ、そう言う事を言ってるのね、と
なんとなくは解るのだが、言葉が多すぎて
見えにくくなっていると言うか。
『虐殺器官』も、普段私が触れないような
世界の話だったが、難しいと感じた事は
全くなかった。
やっぱり、作者の書き方が物語を面白いと
感じさせるか否か、と言う実例をまじまじと
見た気がした。

白状すると『屍者の帝国』読み出すと
眠気が来るのでよく眠れた。
多分、退屈なんだろうなぁ。
プロットは伊藤計劃のものだろうから、
小説の世界に散りばめられるモチーフ
一つ一つは非常に魅力に溢れているのに
面白さがない。
『虐殺器官』との一番の大きな差は、私が
思い付くのは登場人物の誰にも、何ゆえ
このような事態に陥って、だからこそ
自分は身が引きちぎれようとも動くのだ、
と言う危機感が感じられないところか…
『虐殺器官』では、一人称語りなのに
主人公に対して読者が一歩引いて
客観視してしまうと言うか、人物像が
掴みにくく、個性を感じにくい感覚だった。
主人公のクラヴィスが、実は心と体とを
切り離していて、おまけに心さえも理性と
感情を切り離している、と解ってくると、
伊藤計劃とことんまで客観的な文体
逆に雄弁に物語っている様に感じ
られたのだが、『屍者の帝国』には
誰に感情移入、もしくはピントを合わせて
読めばいいのか、最後まで解らなかった。

虐殺の器官と化したジョン・ポールの冷えた
人間の心と言うものの描写さえなくて、
何に憤りを感じ、命を賭けて阻止せねば
ならない切羽詰った感が感じられなかった。
伊藤計劃の作風は登場人物に過剰に
感情を乗せるものではない。
人物の在り方を書くだけで、読者の方が
勝手に(この人間にも感情がある筈だ)と
読んでしまう、と言うか。
人物の取る行動そのものが感情から
生まれているもの、と読者が気付く余地が
あると言うか。
作者の感情を極力投影させないように
客観的に書かれているだけで。

伊藤計劃 円城 塔では作者が違うんだ、
と言う部分を一番感じたのはここだった。
少年少女の兵士を、当たり前に戦闘能力を
持つ兵士として、クラヴィスは躊躇なく頭を
撃ち抜くが、読者の中にはそんな運命に
ある子供がいると言う世界に対する
絶望感が残る。
だが『屍者〜』には、かつては生きて、
誰かの父親だったり子供だったりする
屍者に対して、切なさとか哀しみを感じる
共感性がない。
屍者に対する憐憫の描写がない。
それだけ屍者が社会の中で当たり前に
存在し得るとしても、今生きている自分の
未来の姿である、と言う恐怖心もない。
まるでそこだけ上滑りしてしまっている様で、
読者として読んでいて、ずっと根底に
在り続ける疑問だった。

おまけに、人間の思考は実は菌株に
支配されたもので、もはや人間としての
純粋な自我でさえない、と言う描写が
来て、なんでこっちの方向へ話が
進むんだろうなぁ、と思ってしまった。
ここが面白がる所なんだろうけども。
     (続く…
       ※敬称略


屍者の帝国
河出書房新社
伊藤 計劃

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