ぼくを葬る。

フランソワ・オゾン作品は、時に
「いい映画には違いない、だけど繰り返し見たくはない」
と思ってしまうような残酷さが突きつけられる感覚を覚える、
そういう辛さがある。
オゾン作品にハマった「焼け石に水」
中年男の魔の手にまんまとハマってしまう青年フランツを、
これでもかと虐める下りは、残酷の一言に尽きる。
レオポルドがフランツを家へ誘い、終いには、
ちゃんと彼女がいる彼をまんまとベッドに誘う下りまではいいのだが、
その後の彼らの同棲生活は、レオポルドのS心を満たす為だけに
フランツはそこに在る、と言う感じで、
ひたすらに見ているのが苦痛なのだ…

フランソワ・オゾン監督が、敬愛するドイツの故R・W・ファスビンダーが
19歳で書き上げた未発表の戯曲を映画化したのがこの作品で、
この戯曲家は実際恋人(♂)を自殺に追い込んだ事があるそうな。

愛するが故に虐めてしまう…そうだろうか。

フランツは老練なレオポルドに比べ、かなり未熟。
そこまでやられて「出て行かないのか?!」とさえ思う。
だから見ていると辛いのだ。
フランツが根っからM気質であったなら、
この「不快感」はなかったに違いない。
結局、フランツはレオポルドが自分を苦しめるのは
自分を愛しているが故ではないのだ、と気づき、
自らの命を絶ってしまう。
SとMとで「愛するが故」と言うお膳立てがきちんと成されていたら、
フランツは死を選ばなかっただろう。

ただ、レオポルドの趣味嗜好に合うように「調教」されていただけ、
たまたまそこに自分がいただけ、と言う事を思い知り、
フランツは絶望して死んで行くのだ…

これは「苛め」により、相手を殺してしまったら、
それは「苛め」の範疇を超えているのだ、
と言う現代の「苛め」問題と同義だと思う。
相手を死なせてしまう「苛め」はいじめではなく、
殺人以外のなにものでもない。
相手の存在を消すためにやっている事が「苛め」に似ているだけだ。

この「焼け石に水」以降、オゾン作品はいろいろ見ているが、
はて、この監督が好きなんだろうか、と考えると、
好きではない、と言う結論に行き着く。
オープン・ゲイの監督なので興味は沸くのだが、
好きかと問われれば、好きな監督ではないかもしれない。

そこで、「ぼくを葬る」を見た。

主人公がゲイの写真家である、と言うことはあまり問題ではない。
ただ、そういう人間が癌で余命いくばくもない、と言うだけで。

「明日死ぬとしたら何がしたい?」
個人の考え方が分かる、ある意味定番の質問をされた時、
自分はどう考えるだろうか。

生存率の低い治療を拒否して、主人公のロマン(メルヴィル・ブポー)は
付き合っていたサシャ(クリスチャン・センゲワルト)と一方的に別れる。
大好きな祖母に会いに行く。
偶然知り合った女性から、夫との子供を持てないので、
セックスをして欲しいと頼まれるが、断る。

小さい時は仲の良かった姉と、多分彼がゲイであるが故に
生まれてしまった亀裂を、一本の電話で謝罪し、
そこから彼は「何かを残そう」と思い始める。
姉が公園で二人の子供の相手をしている姿を見ながら電話し、
そのまま声をかけることなく、姉の後ろ姿を愛おしそうに見つめながら歩き出す。

彼が死ぬ前にしたかった事は、ゲイであるが故に欲することもなかった
自分の子供を残すことや、サシャに気持ちを伝えること、
姉との和解を果たすこと、そういう、自分の気持ちに正直になること、
たったそれだけで、彼は穏やかに、普通の時間の中で逝く。
死ぬにはいい感じだな、とでも言うように。

オゾン作品にありがちな「毒」はない。
無理に死の恐怖や絶望も煽らない。
「泣き」を押しつけもしない。
毒も愛するが、「特別」ではない穏やかさも愛しているのだな、オゾンは、
と思える作品だった。

ぼくを葬る
ぼくを葬る [DVD]

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

  • 刑務所もの「ブルベイカー」。

    Excerpt: 何回見ても飽きない映画と言うのがある。 好きな映画はどれか、と考えた時に真っ先に頭に浮かぶ訳でもないのに、 時々無性に見たくなる映画。 ストーリィも展開も細部まで覚えているので、今更見直さなくて.. Weblog: ことぶき猫玉日記 racked: 2009-03-06 16:51