ことぶき猫玉日記

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zoom RSS 奪うだけの男。

<<   作成日時 : 2007/03/02 22:17   >>

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西川美和監督、香川照之、オダギリジョー主演の「ゆれる」を見た。
兄から奪うだけの弟・早川猛。
弟から奪われ続ける兄・早川稔。
殺人か?はたまた事故か。
愛しているのか、憎んでいるのか。
ついついオダギリジョーに目を奪われて、
弟目戦で物語を見がちになるのだが、見終わった後は、
至極真っ当な兄・稔の姿が心に残った。

母の死をきっかけに、久し振りに弟の猛が帰郷することに因って、
暫く沈黙していた物語が再び動き出した。
事故だとされた幼馴染の女性の死を、
「自分のせいです」と兄が口に出したことにより、
稔は殺人犯として逮捕される。
接客業の常で、言いがかりをつける最低の客にも頭を下げ、
丸く収める辛抱強さを持つ頼りになる跡継ぎ息子、
実家のガソリンスタンドの従業員だった稔が、
嫌な客相手にとうとうブチ切れてしまった件で警察の厄介になり、
そこで自白をしてしまうことになる。

このブチ切れ方や、拘置所の面会室での様子を見ていると、
常日頃から「良い人」であろうと自分をセーブし、
鬱屈したものを胸に秘めていた人間が、
とうとう「ぶっ壊れた」風に見えるかもしれない
が、
同じく接客業をしている私から見ると、
「辞める覚悟があればコレくらいして辞める」
程度のキレ方だ。
自分勝手で我儘で不快な客って本当にいるからなぁ。
神だと思って崇めろよ、と言いたげな。
事務職しかやったことがない人は、
全く見ず知らずの人と毎日接する対人関係のストレスなんて
想像できないんだろうな。
身近な人でも本当に何を求め、何を言ってるのか
理解するのが難しいと言うのに。
それを、販売員としての経験で補っているわけだが、
我慢には誰にも限界があるということだ。

これくらいでキレるようなヤツは、その職に向いてないのだ、とか、
金貰ってるんだからプロだろ、なんて言う人もいるかもしれないが、
今、社会で仕事をしている人間のおおよその人が、
「お金を貰って仕事する=プロ」だなんて意識はしてないだろう。
誰も、自分に向いてるから今の仕事をしているとは限らない。
本当にやりたいことを仕事に出来る人の方が少ない。
稔は、親の家業を継がなくてはいけないと言う選択肢の無さを突きつけられ、
ガソリンスタンドで働く人になったのだ。

家業を嫌い、家を出て、自分の才能で仕事を得た弟。
自分しか家業を継ぐ者がいなかった兄。
稔はきっと昔から、兄である自分が弟の我儘や自我の強さを許すため、
犠牲になっていた。
それがこの兄弟のバランスの取り方で、
それは大人になって離れたとしても変わらない関係だ。
拘置所で、たったの一度だけ、兄は本音を口にした。

なんで俺とお前はこんなに違うんだ、と。
同じ親の子であるのに・・・


だけど、この一言は、猛に向けた稔の恨みの言葉ではない気がする。
今まで言えなかった分、狂気じみて聞こえるが、
そう言う事実があっても、もう稔の中ではとっくの昔に受け入れたこと、
恨んではいないが、一生に一度のこの異常な状況の中で、
一度くらい言ってもいいだろう、そう言う程度であり、
口にすることに因って弟を気付かせたいとか改心させようとか、
本当はお前を憎んでいると突きつけたわけではない。
被害者意識が強く、卑屈な性格が稔の本性と捉える人もいるかもしれないが、
スタンドで4年もアルバイトをしている青年に慕われ信頼されているのは、
稔の大部分が本当に信頼の置ける人間だからだろう。

奪い続ける弟が、自分から奪った才能でのうのうと生きているなんて
ただの一度も思っていない。
弟の才能は母似であると、稔自身が言っている。
弟の方が明らかにハンサムで異性にモテるだろう事実も、
兄の美貌を弟が奪ったわけでもない。
「同じ兄弟でこんなに差がなくてもいいのになぁ」くらいの
稔の溜息交じりのグチは聞こえてきそうだけど。

一方、弟の猛の方は、稔から奪うということを自覚している。
そうすることで自分の自尊心を育てて来たに違いない。
幼馴染の智恵子と稔の、職場でのあ・うんの呼吸を目にして、
嫉妬に駆られる猛。
2人のそうした姿を見る前は、母の葬式で帰郷したその足で入った
家のガソリンスタンドで、懸命にガラスを拭く智恵子から目を逸らし、
気付かない振りをしていたと言うのに。
稔の智恵子への恋心を目の当たりにして初めて、
智恵子の存在が猛の中でクローズアップされたのだ。

ただ、兄から奪うことが目的で。

智恵子は昔からこの兄弟の弟の方に惹かれていた。
自分が利用される存在でしかないことに明確に気付かないまま、
幼い時の恋心そのままに、稔の誘惑に簡単に乗ってしまう。
惚れた者の弱味で。
悲劇的な死への序章は、智恵子が猛しか見ておらず、
稔の気持ちに全く気付かなかったために始まった。

映像作品として、映画の中では智恵子の死が何通りか差し込まれている。
死の真相を、映画の進行と共に、映画の中の話に共鳴させると言う効果で。

@つり橋の上で、尻餅をついた智恵子が、稔の手から逃れようと
 後ずさりすることに因って、誤って橋から落ちてしまう

→真実を完結に表現しただけの映像。
 裁判の罪状を読み上げた文章を簡潔に映像化したらこうなる、と言う程度。
 その間にある細かいディテールが別の角度で差し込まれたりする。

A智恵子に拒否された稔が激昂して、
 彼女の体を橋から突き落としてしまう

→稔の智恵子への想いに焦点が当たった時に装飾される映像。
 稔の心情風景を映像化したらこれ位の情熱の発露があるだろう、
 と言う憶測も含まれている。

B智恵子の死の真実の映像。

この3つの映像が、映画の所々に重要なパーツとして挟み込まれる事に因り、
見ている観客の心もゆれる。
一体、何が真実なんだろうか、と。

憔悴し、疲れきった稔の裁判中の姿を見ていると、Aではないかと思えてくる。
@は謎を深めるためのネタ振りにしか見えなくなってくる。
そして猛が、兄を救おうと何度も面会に訪れたり、
弁護士である伯父に大金を積んでなり振り構わず奔走する姿を
補足しているように見える。
「兄ちゃんのようにはなれない」という猛が、
本当に人間として強いのは兄、と印象付けるために。

が、しかし、こんな邪推がここから頭をもたげる。
兄が刑務所に入ってしまったら、家を継がずにいる自分自身の
心苦しさが否応なく増すのではないか、
猛がそう考えてはいないだろうか、と。
猛は決して、親に心底反発して、独断のまま突っ走れるほど
強い人間だろうか。

稔は現実に疲れ(35歳で独身、自分に好意を持ってるかもしれないと思っていた
幼馴染にも拒絶され)、刑務所に入って、
人生をリセットしてもいいかな、と言う気になっている。
その兄の、心の平安を得ようとする行動までをも、
猛は奪おうとしていたのではないか。
兄を無罪にし、元の世界に戻すことで。

猛は少しでも智恵子を愛していたんだろうか。
見ない振りをした猛と智恵子の関係は、過去に智恵子の恋心を
猛が拒否して清算されていたんじゃないか、と言う推測が立てられる。
だから、気まずそうに見ない振りをしていたんじゃないか。
兄との、仕事場の上司と部下としての信頼しあう姿を見ただけで、
自分が過去に拒否した女を兄が手に入れるのは許せない、
ただそれだけだったんじゃないのか。
あの2人の姿を見なければ、昔のように、
智恵子に関心を持たないまま、母の葬式が終わったら
すぐにでも東京に帰っていたんじゃないのか。

智恵子の遺体を目にして、シャワーを浴びながら嘔吐する猛。
これは一体どういう感情を表現しているんだろうか。
本当は智恵子を愛していたんだと気付いた後悔の念なのだろうか。
果たして、愛している人の遺体を見て、人は吐くものなんだろうか。
私には、愛しているのに気付いた後悔ではなく、
猛の罪悪感に体が反応してしまった生理作用のように思えてならない。

兄のものを奪わずにいられない自分の業の犠牲にしてしまった女性を
目の当たりにして。
極悪非道な冷血人間なら、こうはならないだろう。
言葉に出すほどに、人を傷つけて平気でいられるような
そんな人間にはなり切れない自分だからこそ生まれる罪悪感。
逃げてばかりの自分。
智恵子が死んで初めて、ただ兄のものを奪いたいが為に振舞った
自分の傲慢な行為が招いた結果に気付いたんじゃないか。

「ゆれる」を見ている間、10代の頃に読んだ吉田秋生の漫画を
ずっと思い出していた。
「カリフォルニア物語」。
ここにも、兄と弟の物語がある。
自分の意思をはっきり伝えられる弟に対し、
いい人間であり続けた兄。
主人公のヒースは一見ジコチューで扱いにくい人種に思われがちだ。
そのヒースと同居人であったイーヴに愛を告白され、
受け止めきれないで居る中で、イーヴの死と対面する。
イーヴの遺体を引き取ったその夜、イーヴの遺体を前に吐き続けるヒース。
「あれはイーヴなのに・・・」、そう言って。
「ゆれる」「カリフォルニア物語」に似てても、
パクリだとかよくある話だとか言うつもりはない。
そんなのはどうでもいい。
香川照之とオダギリジョーの演技が素晴らしいと言うだけで、
「ゆれる」人に見て欲しいと思える映画だ。
「カリフォルニア物語」を読んだことのある人には特に。

この映画を見て、色々と考えさせられた。
自分の身に置き換えて、ではなく、この兄弟に何が起こったのか
それを知りたいと思って。
この、考えると言う点で、他の人が見た時にどう思うか、
これで自分との物事に対するスタンスの度合いが測れる気がする。


今朝、起き掛けにを見た。
昨夜、映画を見てから寝たせいだろう。
夢の中にオダギリジョーが出てきた。
何故か、ミスタードーナツのカウンターにオダギリジョーがいた。
私は「端から端までください」と言って買うんだけど、
それを聞いてオダギリジョーがこんないい客が来た時は良い事を一つしなくちゃ、
と言うので、私は一体どんなサービスをしてくれるのかなぁ、と思っていたら
何故か上司を大声で呼んで、オダギリジョーは100円、その上司は500円を
目の前で募金箱に入れると言う・・・
私には関係ねぇじゃんか、と言う突っ込みと共に目覚める夢だった。
ミスドのドーナツ食いてぇ、と思いながら(笑)

結局、何故、猛は嘘をついたのか、
まだ一度しか見てないので整理がつかない。
猛の歪んだ稔への愛情表現としては、やはり兄の無罪を勝ち取り、
外に出た兄から更に奪い続ける描き方もある。
智恵子がいなくなった今、兄からは明確に奪えるものがないので、
もう用済みとばかりに刑務所にブチ込んだのか。
今の所、刑務所に入って今までの自分の人生から小休止したい、
と思っていた稔から奪うなら、彼を外に出すことだし、と思えたりする。

7年後、兄が出所する前日に母が撮影していた古いフィルムの中で、
幼い頃の父・兄・自分の姿を見て、泣き崩れる猛。
この頃の無邪気さを思い出し、情けなさに泣いたのだろうか。
兄のモノを奪いたいと言う気持ちさえ無邪気だった頃を思って。
それとも、兄を心底愛しいと、再確認したのだろうか。

出所した兄と一足違いで擦れ違い、一旦はもういいと諦めたのに、
歩く兄の姿を見てしまうとたまらず駆け出す猛。
車の走る音に掻き消されそうになりながら、
何も「兄ちゃん」と叫び、走り、自分に気付いてくれない兄に
泣き出しそうになっている。
バスが来る直前、弟の姿を視界に捉える兄が、フッと笑みを浮かべる。
「うちに帰ろうよ!」と叫ぶ弟に対して、
「しょうがないヤツだなぁ」と言う気持ちなのか、
純粋に7年ぶりに弟の姿を見て嬉しかったのか。
きっと稔の脳裏にも、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と言って
自分の後を尾いて来た小さい弟の姿が見えていたのかも。

そして、稔は猛に気付いていながら、
バスに乗って行ってしまったんだろうか。
それとも、乗らずにまた、弟の奪われる人生に戻るのだろうか。

解釈が分かれるラストシーンだが、私はどっちでもいい。
どっちにしても、バスに乗った兄を弟は探し出すんじゃないか、
と思えてならないから。
田舎に住み辛くなった兄に、「東京に出て来いよ」とか言いそうだ。


ゆれる
バンダイビジュアル
2007-02-23

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ゆれると言う映画は観ていない、人を好きになると楽しい事ばかりではないし私も横恋慕された事もあるしもう誰も好きになるもんかと思いつつまた誰かをもとめてしまうのだ。接客は大変ですよ、セクハラを受けあくる日には理不尽なことを言われたり嫌な事の方が多いです。そして常に金いじりしているのでお金の価値が麻痺したりもするし悪循環だなぁ本当に。客観的にやれたらどんなに楽か。
忍陽
2007/03/02 23:36

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